2012年9月5日水曜日

至福の話し

ハナとキノコを連れてよく山に入ることがある、甲斐犬の血が入っている山犬なので平場よりギアが一つ上がるようだ。
とくに野ウサギの匂いを嗅ぎ付けた時にはターボがかかる、
そんな時はあっちこっちと必死に森を走り回る2匹をほっておくしかない。
それはまた、僕に与えられたラッキーな時間でもある、静かな森の中で適当な木の切り株を見つけ「ボーッ」とした時にひたることができる。
時は流れているのか止まっているのか、木々の梢を渡る風や時おりの鳥の声をBGMに陽の光が差し込む森のひととき、森林浴とはよく言ったものだ、まさに入浴している感じがする。
そこが森のスポットとでも呼べる雑木の場所であるなら最高だ。大きなナラやブナがソラに向かって自由に枝を広げ、その下には乾いた落ち葉の厚い敷物が覆っている。その上を歩く時は極薄のポテトチップスを踏んでるような軽やかな音楽を感じる。
そんな場所に10分もいると「このままここでこの森の木の1本になってしまいたい」と思うことがある。そんな時「そうか!<姥捨て山>は至福の話しだ!」と気がついた瞬間があった。いきなりだったけど…あれは素敵な話しだったんだと…。
自分に与えられた「生」を苦も楽も十二分に味わい、子供も孫も立派に育ち「自分の人生は幸せだった」、この先にやれることもやりたいこともあるとは思えないし、ここが人生の潮時「次の世界」に行こう…と自らが決めること。年を経た
インディアンが<今日は死ぬのに良き日だ>と山に向かうのと同じことのような気がする。病院で延命治療を受け、体中管だらけベッドに縛られて長らえる命より「自分の人生最高に楽しかった、本当にみんなアリガトウ」と死を迎えに行くことができる。
空海ではないが「我これより滅に入る」と言える人生を送りたいと思いつつ生きている。
村のはずれにキヌさんという90歳になるおばあさんの家にたまに寄り1時間くらい昔話を聞くのだが、いつも終わりは
「まぁ〜……っ、長生きするのもぉ〜………つまらんな!」
で終了。
また別の字にシズさんという94歳のおばあさんがいる、彼女は結婚する時、田んぼ、畑は一切しなくていいからと町から嫁にきたそうだが「なんのことはない」とグローブのような大きなごつごつした手を見ながら「嘘ばっか…」と振り返る。シズさんには息子2人、娘1人の3人の子がいたが3人とも彼女よりさきに他界した。ずっと一人で生きている。
家から数歩外に出ると、曲がった腰で見えるのは地面ばかりで家の戸がどっちかもわからなくなる…と笑って言う。
そんな話しを聞く前、最初にシズさんに会った時、思わず観音様だと手を会わせたくなったのを覚えている。
そのお二人と別れ際の挨拶は「お迎えはそう遠くないから…
それまではちゃんと生きとらないかんよ…」である。


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