2012年10月12日金曜日

「馬方さん」になりました。

僕の住んでいる豊田市乙ケ林町は豊田市との合併前には小原村大字乙ケ林だったと思うが、その<字>の氏神様のお祭りが昨日あった。
そして<字>の西組(僕の属しているエリアの組)が今年は
「馬方」という5年に一回くらいまわってくる祭りを仕切る
担当であった。
「馬方」という役目がら馬のお世話をしていたのだろうが、もう30年くらい前から<馬>は出てないそうだ、昔は馬の背に大きな花飾りを乗せ、字の隅々を引き回し最後に宮入をする秋祭りだった。
「棒の手」の奉納もあったらしいので、祭りの系譜はいわゆる「猿投(さなげ)系」だと思われる。
人口の減少でパフォーマンス系の奉納がなくなり、馬が出なくても「馬方」というお役の名前だけが今に残されている。

祭りといえば若衆といわれる若者たちがデビューする大切な日で、馬方のお役が与えられるのは、まさに「ハレの日」であったにちがいない。
それはもう遠く昔の話しになり、今の長老さん達が子供の頃の話しのようだ…今はといえば若い衆がいないのである。
字の人も減り、賑やかな祭りの日を想像していた祭り好きの僕には「これが祭りなの…」と期待のしぼむ現実に淋しい思いがした。

「字に20代の若者って何人いるの?」「2人かなぁ…」確かにこれでは熱く燃える祭りは無理だなぁ…と納得。
朝の8時にお宮さんに行き、掃除〜のぼり立て〜しめ縄作り
や笹飾り〜林で玉串を作る榊の切り出し…とやることはたくさんある。
ここまでの準備は馬方さんが仕切りながら、字の衆が皆でやる、特にしめ縄作り(お宮さんのしめ縄は左縄といって、常は右に巻いて行く右縄とのこと)は年を重ねたキャリアでないと上手くはできない。
長老さんたちのなう縄は、手の平が自然に力のバランスを知ってるかのようにスルスルとわらを編み込んでいく、教えてもらっても僕の手の平は不自然な力の入れ方で、ぼそぼそした無様なワラの塊でしかなく、スマートな縄にはなってくれない。

結局、現在の馬方さんは神官さんのお世話や食事、村役さんたちの宴会の進行ということのようで、やることがなくても
お宮さんにいる、ということが役目であった。
昔の祭りは賑やかで、神社の小さな境内にも屋台や子供たち相手の出店が並んだそうだ…子供もいっぱいいた時だったんだろうが…。

しかし30分くらいの間ではあるが、神官さんのお祓い〜祝詞(ノリト)、字役さんの玉串奉納までの流れは<祀る(マツル)>という神事のいちばん大切な意味だけは残していることにうれしさを覚えた。
また、字の小学生たちだけは学校が半ドンになり、境内は一年に一度この日だけだろうと思えるくらい子供たちの声が満ちていた…神事の後の「おみくじ」以外に何もない祭りでも特別な一日なんだな…。
祭りの終わりは字の男衆たちの宴会というか懇親会で締めくくられ、一年に一度の「祭りの時」お開き…人々が帰った後は秋風を迎えた静かないつもの村のお宮さん。
…僕の「馬方さん」も5年先まで、しばらくはお役御免…。

*お役をしていて自分の字の祭り写真が撮れなかったので、
 今日行われた「上仁木/諏訪神社」の大祭の写真を載せます。おそらく小原で昔風の祭り風景をもっとも残していると
思われます。こちらは<矢作系>の祭りですね…。










1 件のコメント:

  1. 竹内さん!
    ブログ、見に来ましたよ(^^)
    今日はお電話ありがとうございました。
    また、連絡させていただきます。
    カズ

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